ラテン・アメリカ政経学会

コラム

あるデカセギのライフヒストリー

萩原八郎

 

 筆者の住む徳島県は、ブラジルに移住した人数でもブラジルから来ている出稼ぎの人数でも日本で最も少ない都道府県の一つであるが、県内に日系ブラジル人たちが働いている事業所が数ヶ所あり、その一つが徳島市に隣接する町にある鶏肉加工工場である。そこでは日本人のほかに中国人、フィリピン人、ブラジル人が働いていて、彼ら外国人労働者たちは工場の敷地の一角にある宿舎で暮らしている。筆者が初めてここを訪れたのは、1年間ブラジル・サンパウロ市で家族ともども暮らす機会があった直後の2003年のこと、徳島でもブラジル人に会える場所があると聞き、出かけて行った時からの縁である。当時は香川県の人材派遣会社の派遣労働者として十数人のブラジル人が働いていたが、3年前のリーマンショック以降はほんの数世帯にまで減り、2011年11月、ついに住み込みで働くブラジル人は日系2世のSさん一人だけになった。かつて多くのブラジル人を見かけた宿舎には、日系フィリピン人とその家族、中国人研修生の若い女性たちの姿が目立つようになった。

 65才のSさんも定年を迎え、この12月で工場との契約が終わるとのこと。1990年に44才で初めて来日してから21年、徳島に限れば5年に及んだ日本での生活にもそろそろ終止符を打つ時が近づいてきた。そこで先日、Sさんから日本に着いてから徳島に来るまでの足取りやブラジルの家族の話など、大学院生のT君と一緒にインタビューさせてもらった。近くのファミリーレストランのテーブル席で2日間計6時間以上におよんでライフ・ヒストリーを聞かせていただいた。

 Sさんのプロフィールの要点をまとめると、群馬県と栃木県出身の両親が1935年に新婚で神戸から船でブラジルに渡り、サンパウロ州西部のアリアンサ移住地のコーヒー畑に入植した。Sさんは3男として1946年に生まれ、パラナ州ロンドリーナ大学で哲学を専攻し、卒業後学校の教員になった。イタリア系女性と結婚し、2男1女にそれぞれ子供(孫)もいる。日本への最初の出稼ぎは1990年9月、クリチバの小さな旅行会社を通じて栃木県真岡(もうか)市の人材派遣会社につないでもらい、自動車部品製造工場で2年間働いた。東京に着いてペルー、ボリビア、アルゼンチンなどから来た日系人と合流してから一緒に真岡に向かった。収入は最初の頃残業して32万円、そこから12万円差し引かれて手取りが20万円あった。残業の多い月は最高で42万円になったが、平均32万円くらいであった。

 1992年にブラジルに帰ってからパラナ州立の中学校の校長となり、1996年には累計23年間社会保険料を納めていたので、あと2年勤めれば退職時の月給の70%の年金をもらえる権利を得られるところだった。当時の月給は1500ドルくらいで、デカセギの収入のほうが倍くらいになったので、あと2年を待たずに日本にデカセギに来ることにした。2度目の来日は1996年から2006年までの約10年間、埼玉県と群馬県で自動車部品製造工場や医療品製造工場それにオフィス事務機の会社の倉庫で部品管理の仕事など4ヶ所で働いた。1996年に2度目に日本に来た時は、町にローマ字表記が多くなっていたので驚いたそうである。Sさんは日本語の会話には不自由しないが、読み書きができない。前述のオフィス事務機の倉庫での部品管理の仕事もローマ字表記で用が足りたため、日本語の文字を勉強する必要はなかったのである。その間、長男にはヨーロッパ留学のための資金を、次男には家を建てるための土地購入費の援助を、長女には大学に行けるように、それぞれお金を渡した。長女は大学に進学せず、家を買うのにお金を使ったが、いずれにしてもSさんからの送金のおかげで3人の子供たちは社会人になった。

 Sさんは主に子供たちの学費のために日本で稼ぎたかったわけであるが、2006年1月にブラジルに帰った時は、ブラジルでとくにやることがなかったので、翌2月にはまた日本に行くことにしたのである。3度目の来日となった2006年からは香川県の人材派遣会社を通じて徳島県の鶏肉加工工場で働くことになった。健康保険と年金に加入していなかったが、時給は1,200円と高かった。医療費は自己負担だが、自己負担金が2万円を超えるとそれ以上は人材派遣会社が負担する旨契約書に記載されていた。リーマンショック後の2009年から工場との直接契約になり、現在は時給700円にまで下がったが、健康保険と年金に加入している。今の契約期間は12月31日までで、それでブラジルに帰るかもしれないし、会社から要請があれば延長するかもしれない。ここでの仕事は朝7時から16時まで7時間半の労働で、水曜日と日曜日は休みである。毎日大体3時間くらい残業し、皆勤手当ての8,000円が加算された月給は13万円程度。ここから所得税や住民税などが引かれる。住居費は水道・ガス・電気代込みで3万円。携帯電話はソフトバンクの前払いで3,000円分に抑えている。ブラジルのテレビを見るためにスカパー月契約が4、200円。パソコンは使っていない。

 日本で計4年くらい年金(社会保険料)を納めてきたと思うし、それを記載した年金通知書をもらっている。これをブラジルでの勤務年数と合算することができれば、ブラジルで年金をもらえるかもしれないが、まだこれに関する法案はブラジルの議会を通過していないとのこと。いずれにしても本人は自分の年金のことをそれほど深刻に考えている様子はなく、ブラジルに帰ったら老後はアマゾンあたりでのんびりボランティアをして暮らしたいと語るSさんの口調は軽やかである。

 Sさんのお話の中で印象的だったことは、社会主義者だったというお父さんからは、小さなものをクスねるのも大きなものを盗むのも同じドロボウだと教わったという話で、Sさんが初来日してまもなく集団でスーパーに買出しに行った際、ブラジル人が入店したから(万引きに)注意するように、というアナウンスが聞こえたが、これにユーモアで応じて、わざとポケットに商品を入れて、きちんとレジで精算した。最後にはその店の店長から「あなたたち外国人のおかげでこの店はよくなった」というほめ言葉をもらったというエピソードである。Sさんはこれまで何かと仲間のブラジル人をサポートしてきたが、いまは中国人研修生の若い女性たちの世話を焼いて、楽しそうに過ごしている。次男一家が豊田市の保見団地で暮らしており、まもなく第2子、Sさんにとっては4人目の孫が誕生する予定だ。

 

(はぎわら・はちろう/四国大学経営情報学部教授)